ファレイヌ2 第一話「魔界の3兄妹」 登場人物 椎野美佳 20歳。声優。魔銃ファレイヌの所有者 エリナ 美佳のマネージャー カライス 魔界の使徒 アエロー カライスの妹。 エレクトラ カライスの妹 旧ファレイヌのあらすじ ファレイヌ−−それは人間の魂を金属の粉末に転生させる魔術、 あるいはその金属生命体を言う。自らの形を自在に変え、人間に乗 り移り、心をも操るファレイヌは、魔界の悪魔バフォメットによっ て将来の世界征服のために13体生み出されることとなった。しか し、バフォメットがその直後に魔女狩りで殺されると、意志を持つ ファレイヌたちは、互いに人間になるための真の肉体を求め、仲間 内で相争うようになった。それが400年に及ぶファレイヌ戦争で ある。 しかし、中立神ガイアールの力を秘めた少女・椎野美佳の登場で 状況は一変する。彼女は黄金のファレイヌ・エリナと手を組み、バ フォメット復活を企む魔界の使徒ゼーテース、美佳を狙うファレイ ヌたちをことごとく退け、ついに復活したバフォメットをも倒すの だった。だが、1年間に渡る戦いで椎野美佳は家族もその友人をも 失うのだった。 プロローグ 1990年6月−− 魔界の両性具有神バフォメットが黄金のファレイヌ・エリナによ り、その生命を絶たれてから3年以上が過ぎ去っていた。 その昔、バフォメットとの戦いが行われた教会堂は、その後、誰 一人として人が訪れることのなく、いつしか苔や蔓草に覆われ、森 の景色と同化してしまっていた。 そんな教会堂を満月の深夜、3人の男女が訪れた。 3人の内、一人は男、後の二人は女である。 男は黒いスーツを着た30代の金髪であった。 女の一人は赤いブラウスにブラウン髪、もう一人はプラムグレイ のワンピースに黒い髪。 3人に共通しているのは白人で、顔立ちは美形だがその表情は氷 のように冷たいと言うことだった。 3人は教会堂の入り口で立ち止まった。 「アエロー、ここに間違いないか」 金髪の男が言った。 「ええ、お兄様。ここに間違いありませんわ」 ブラウンの髪の女、アエローが答えた。 「よし、入るぞ」 3人は男を先頭にして、教会堂の中に入った。 3人は真っ暗闇の堂内を照明一つ点けずに平然と歩いていた。 「この通路の奥の祭壇に地下室がありますわ」 アエローが前を歩く金髪の男、カライスに言った。 カライスたちは祭壇まで来ると、祭壇の後ろに地下室への入り口 を発見し、階段を降りていった。 暗闇の一本道を5分ほど歩くと、木製のドアの前に来た。 「ここにおられますわ」 アエローが確信したように言った。 ドアには施錠はされてなく、カライスは静かにドアを開けた。 地下室には上の階の祭壇を一回り小さくした祭壇があった。 しかし、3人は祭壇よりも地面を見ていた。 「おお、何と言うことだ!!」 カライスは突然、地面に跪き、地面に散乱した黒い灰の前で絶望 の声を上げた。「バフォメット様が灰になってしまうなんて」 カライスは右手で灰をすくい、じっと見つめた。 「ゼーテースからの連絡が途絶え、急ぎ日本に帰ってバフォメット 様の消息を捜してみれば−−。私たちがもっと早く駆けつけていれ ば、このような哀れな姿をさらさずに済んだものを……バフォメッ ト様、申し訳ございません」 「お兄様、バフォメット様はまだ生きておられますわ」 アエローが言った。 「このような灰になっても、まだ生きているというのか」 カライスは驚いてアエローの方を向いた。 「はい。微かな意識を感じます。バフォメット様は魔力さえ戻れば 、再び再生できると、私に申しております」 「しかし、一体誰がバフォメット様を?」 「エリナだとおっしゃっていますわ」 「エリナ?」 「13人のファレイヌの一人ですわ。確か精神波動の魔力を持って おります」 「馬鹿な。そんな小者にやられたというのか?」 「他に中立神ガイアールの力を受けた者がいると−−」 「ガイアール!!ガイアールは目覚めたのか?」 カライスの顔が険しくなった。 「はい」 「そうか。そうでなければ、ゼーテースがむざむざやられるはずは ない」 「アエロー、どうすればバフォメット様は再生できるの?」 今まで黙っていた黒い髪の女、エレクトラが言った。 「バフォメット様はこう申しております。その昔、バフォメット様 が13人のファレイヌに分け与えた魔力を取り戻し、それを新しい 肉体の中に灰と一緒に入れよと」 「新しい肉体とは?」 カライスが尋ねた。 「6月6日誕生日の処女を捜せとバフォメット様は申しております 」 「わかった」 「それから−−」 アエローはそういって、祭壇の方に行くと、壁に掛かった一本の 杖を手にして、カライスのもとに戻ってきた。「ファレイヌの魔力 を取り戻すのには、このデーモンロッドを使えと申しております」 「デーモンロッドか−−」 カライスはデーモンロッドを手にした。その杖は先端に骸骨が取 り付けられていた。「バフォメット様の指令、確かにお受けした。 アエロー、おまえはガイアールの使徒とラシフェールの使徒を捜せ 」 「はい」 「エレクトラ」 「はい」 「おまえはこのデーモンロッドを使って、ファレイヌを捜しだし、 その魔力を奪還するのだ」 カライスはエレクトラにデーモンロッドを手渡した。 「エレクトラ、ファレイヌはバフォメット様の魔力が解けて、生命 のない魔力粉末体になってるから注意してね」 「わかったわ」 エレクトラは笑顔で答えた。 「お兄様はどうなさるの?」 「俺はバフォメット様の肉体を捜す。連絡は月に一度、場所はその 都度テレパシーで伝える。これでいいな」 「それでいいですわ」 「私もいいわよ」 「よし、では、各自、計画を遂行しろ」 カライスがそう言うと、エレクトラとアエローは静かに頷いた。 1 声優・椎野美佳 渋谷RBスタジオ。このスタジオの5階では、ラジオ番組の収録 が行われていた。 音声室には机を挟んでパーソナリティと構成作家が座っている。 ガラスを挟んだ録音室にはディレクターやADといったスタッフが いる。 ディレクターの手の合図でオープニングテーマ曲が流れた。 「こんばんは、『相木美佳の今夜もラブリーナイト』、今日も頑張 って始めるぞ。みんな、この1週間、どうだった?私はね、Y湖へ 行って来たの。写真集の撮影なんだけどね、いやあ、えがった、え がった。本当、楽しかったよ。とにかく平日だからさ、人が少なく てもうやりたい放題。朝からボート乗って、それから山登って、そ れから野生動物園にも行って−−やっぱり平日の旅行はいいよね。 えっ、仕事に行ったんじゃないのかって?そうそう、仕事よ、仕事 。まあ、私のことよりお葉書紹介しちゃいましょうね。えー、埼玉 県U市の−−」 番組のパーソナリティ・相木美佳は滑らかなしゃべりで、はがき を読み始めたのだった。 それから30分後に番組は終了した。 簡単な反省会をして、美佳はスタジオを出た。 廊下では美佳のマネージャーのエリナが待っていた。ここで簡単 な人物紹介をしておくと、相木美佳は芸名で、本名は椎野美佳。年 は20歳。中立神ガイアールの力を託された女性で、3年前までは エリナと共にバフォメットやファレイヌと戦っていた。一方、エリ ナは3年前まで金のファレイヌだったが、バフォメットを倒したこ とにより魔法が解け、人間に転生したのである。 「お疲れさま」 エリナが笑顔で美佳を迎える。 「今日のスケジュール、この後、何だっけ?」 「午後2時から、青山のBスタジオでアニメ番組の収録ですわ」 とエリナはすぐに答えた。 「じゃあ、お昼食べる時間はあるね」 「ええ」 「じゃあ、ご飯食べにいこ。私、おなか減っちゃった」 「ええ、いいですわ」 美佳とエリナはエレベーターの方へ歩いていった。 「あのぉ」 エレベーターの前に来たとき、後ろから誰かが美佳たちに声をか けた。 「ん?」 美佳は振り向いた。 見ると、20前後の女性が立っている。服装は地味で、一見、控 えめな感じの女性である。 「あの、もしかして相木美佳さんですか」 とその女性は尋ねた。 「そうだけど、あなたは?」 「私は水島幸恵といいます。お話ししたいことがあるんですけど、 お時間いただけますか」 とその女性は緊張した面もちで言った。 「いいわよ。ちょうどお昼食べに行くところだから、一緒に行きま しょう」 美佳は特に警戒するでもなく、気軽にそう言った。 2 ファレイヌ 渋谷RBスタジオから数分歩いたところにある喫茶店に美佳たち は幸恵を連れて、入った。 美佳たちは席に着くと、簡単に注文を済ませ、その女性の話を聞 くことになった。 「水島さんって言ったっけ。どんなお話があるのかしら」 美佳は気軽な口調で、幸恵に話しかけた。 「……」 幸恵は黙り込んでいた。何か考えているようだ。 「どうしたの?」 「い、いいえ。あの、相木さんの姓は椎野って言うんですよね」 「うん、そうだよ。よく知ってるね」 「そうですか……よかった」 幸恵は胸の仕えが取れたのか、ほっとした表情になった。 「?」 美佳は一人で納得している幸恵を不思議そうに見つめた。 「あのぉ、相木さん」 「はい」 「こ、これを見ていただけますか」 幸恵はセカンドバックから、何やら布にくるまれたものを取り出 すと、それをテーブルに置いた。そして、ゆっくりとその布を広げ ていく。 「ん?」 美佳はその様子じっと見つめていた。 やがて、布の中から一丁の拳銃が現れた。 「これは!」 美佳は目を見張った。隣にいたエリナの表情も変わる。 銅独特の赤色の光沢を見せる大型のリヴォルバー。それはまさし く美佳たちが以前に見たことのある銃だった。 美佳はエリナの方を見た。エリナは静かに頷く。 「これはファレイヌですね」 エリナは静かに言った。 「やっぱりご存じなんですね」 幸恵の顔が少し明るくなった。 「これは銅のファレイヌ、ティシアの変形体ですね」 エリナが美佳に小声で言った。 「でも、ファレイヌはバフォメットが死んで、魂が解放されたわけ でしょ」 「ええ、ですから、このファレイヌも美佳さんの銃同様、抜け殻だ と思います」 「なるほど」 美佳は頷いた。 「相木さん、この銃は何なんですか」 幸恵が尋ねた。 「水島さんはこの銃のこと、知らないの?」 「ええ。だから、相木さんのところへお持ちしたんです」 「どういうこと?」 「3年前のことです。私、半年近く記憶喪失になっていたことがあ るんです」 「記憶喪失?事故か何かで」 「いいえ、よくわからないんです。ある日、突然に意識を失って、 気がついてみたら、半年が経過していたんです」 「それは不思議な話ね」 「しかも、意識が戻ったときにはこの銃を手にしていました。それ から、持っていたバックの中の手帳にあなたの名前が書いてあった んです」 「……」 美佳は黙って、エリナの方を見た。 「どうやら彼女はティシアに心を支配されていたみたいですね。彼 女の意識が戻ったのは3年前のようですから、恐らくバフォメット が死んだことで、ティシアの魔力も失われ、彼女の意識が解放され たんじゃないでしょうか」 「すると、ティシアの魂は今、どこに?」 「さあ。わたくしみたいに転生したのか、それとも昇天したのか」 「そっかぁ」 美佳はうんうんと頷く。 「あの、何か知っているんでしたら、教えてください」 幸恵は美佳とエリナだけが納得したように話しているのを見て、 不満そうに言った。 「ねえ、どうして今になって、私のところへ来たの?」 美佳は幸恵の方に視線を移して、言った。 「あなたの本名が椎野美佳ということを雑誌で読んで、偶然知った ものですから。そんなことより教えてください。この銃が何なのか 。どうして私が記憶喪失になったのか。この3年間、私、自分の記 憶の手がかりを捜そうと、ずっと歩き回ったんです」 幸恵は真剣な口調で訴えた。 「水島さん、この銃のことや記憶喪失のことはもう忘れた方がいい と思います」 美佳は穏やかな口調で言った。 「どうしてですか」 「世の中には知らない方がいいってこともあるでしょ。仮に話した ところであなたのとうてい理解できる話ではないわ」 「そんな!私は納得がいきません。もしかして、教えて頂くにはお 金がいるんですか。それだったら、私、借金してでも払います」 幸恵はバックに手を入れる。 「お金の問題じゃないの。水島さん、この銃は処分して、もうこの ことは忘れた方がいいわ。それがあなたのためなんだから。さあ、 エリナ、行くわよ」 美佳は席を立つと、店の入り口へさっさと歩いていった。エリナ も慌てて追いかけていく。 「何か知ってるんだわ。私、絶対諦めないんだから」 幸恵はテーブルの銃を見つめながら、呟いた。 「教えてあげた方が良かったんじゃないでしょうか」 青山へ行くタクシーの中でエリナは美佳に言った。 「教えてどうなるの。バフォメットのことやファレイヌのことを話 して、あの子が納得する?」 「−−多分、無理ですね。でも、水島さん、また来ますよ」 「無視するからいいわ」 美佳は車のウインドウの方を見た。「エリナ、私ね、もうファレ イヌのことは忘れたいの。やっと元の暮らしに戻ったのよ」 「そうですね−−」 エリナはこれ以上、美佳に話しかけることは出来なかった。 3 エレクトラ その日の夕刻、幸恵はマンションを訪れた。そこは8階建ての賃 貸マンションで、近くの駅から10分ほど歩いたマンション街の一 角にあった。 「ここに間違いないわね」 幸恵は手帳に書かれたマンション名と目の前のマンションの表札 とを見比べた。 「こうなったら、相木さんの自宅の前で何時間でも粘ってやるわ。 相木さんにはどうしても話してもらうんだから」 幸恵は自分を奮い立たせるように気合いを込めて呟いた。 幸恵はマンションの入り口でじっと立って、待っていた。しかし 、1時間ほど立っていると、60代の男の管理人がマンションの外 に出てきて、幸恵に声をかけた。 「何かご用ですか」 管理人はジロジロと幸恵を疑わしい目つきで見ながら、言った。 「人を待ってるんです」 幸恵は憶することなく言った。 「ここの住人の人ですか」 「ええ。相木美佳という人です」 「相木……ああ、椎野さんね。椎野さんなら夜はいつも遅いよ。一 度、出直してこられた方が」 「いいえ、ここで待ってます」 「それは困るんですよ。住人が不審がるものでね。失礼ですけど、 椎野さんとはどのようなご関係で?」 「そんなこと、話す必要はないでしょ」 幸恵はやや語気を強くして、言った。 「しかし、無関係な方にマンションの前でうろうろされてますと困 るんですよ。場合によっては警察にも来てもらうことに−−」 「わかりました。また後で来ます」 幸恵はそう言うと、慌ててそのマンションの前を立ち去った。 「全く、嫌な管理人だわ」 幸恵は道を歩きながら、呟いた。時々、後ろを振り返ると、マン ションの前の管理人がまだ中に入らず、幸恵の方を見ている。それ を見ると、幸恵はよけいに腹が立ってきた。「これからどうしよう かしら。夜中に行っても、管理人が中へ入れてくれないだろうし、 何とかマンションに入る前に相木さんを捕まえないと」 幸恵が下を向きながら、思案に暮れた。しばらく歩いていると、 幸恵はいつのまにか人気のない裏通りにいた。空はもうすっかり暗 くなっている。 「あれっ、いつの間にこんなところへ来たんだろう」 幸恵は周囲を見回した。そこは全然知らない通りであった。幸恵 は少し心配になり、歩調を少し早めた矢先、曲がり角で突然、誰か にぶつかった。 「あっ、ごめんなさい」 幸恵は慌てて、謝った。 「いいのよ、気にしないで。あなたに会いに来たんだから」 幸恵の目の前の女性が言った。その女性は黒髪だが、西洋系の顔 立ちをした女性であった。 「え?」 幸恵は不思議そうな顔で女性を見た。全く見たことのない女性で あった。 「失礼ですが、どちらさまでしょうか」 「私はエレクトラ。あなたの持ってるファレイヌをもらいに来たの 」 「ファ、ファレイヌ……」 幸恵は2、3歩後ずさった。 ファレイヌって……そういえば、相木さんが喫茶店で私の銃のこ とをファレイヌって言ってたような 「知ってるみたいね。それなら話が早いわ。さあ、ファレイヌを渡 して」 エレクトラは手を出した。 「ま、待ってください。ファレイヌって何なんですか」 「知らないの?金属の固まりよ。その形は銃の形の時もあるし、剣 の形、人間の形をしているときもあるわ」 「私、そんなもの、持ってません」 何かエレクトラに異様な冷たさを感じた幸恵は、とっさにファレ イヌのことを隠した。「嘘ついても駄目なのよ。デーモンロッドが 教えてくれてるんだから」 エレクトラがそう言うと、彼女の左手に突然、ドクロを備え付け た杖が現れた。ドクロの目が赤く光っている。 「このドクロがね、あなたは銅のファレイヌを持ってるって教えて くれているのよ」 幸恵はドクロを見た途端、ゾーッとした。 この女、まともじゃない。 幸恵はさらに後ずさった。 「さあ、渡しなさい」 エレクトラが幸恵に近づく。 「こ、来ないで。近づいたら、人を呼ぶわ」 幸恵が震えた声で言った。 「人?呼んでどうするの」 エレクトラがさらに近づく。 「いやあ!!」 幸恵がエレクトラに背を向け、駆け出した。 「仕方のない子ね」 エレクトラは右手を前に伸ばした。するとその手がぐうんと伸び て、幸恵の服の襟首を掴むと、そこから一気にエレクトラは腕を縮 ませ、自分のところへ幸恵を引き戻した。 「い、いや……お願い、助けて」 エレクトラをすぐ目の前にして、幸恵は恐怖にかられた表情で言 った。 「何を怯えているの。私はファレイヌが欲しいの。わかるでしょ」 エレクトラは優しい声で言った。 「ファレイヌなら、このバックの中に」 幸恵はそう言って、バックの中から布包みを取り出し、エレクト ラに渡した。 エレクトラはそれを受け取ると、布を開いた。中から赤い光沢の 拳銃が現れる。 「うふふ、間違いないわ。銅のファレイヌ。生命吸引の魔力ね。あ りがとう」 エレクトラは微笑んだ。 「もう行っていいですか……」 幸恵は震えを必死に押さえながら、言った。 「いいわよ。でも、お礼をしなきゃね。あなたにはガーネットをあ げるわ。とっても赤いすてきな宝石よ」 エレクトラはどこからかベリルのガーネットを取り出し、幸恵の 目の前で見せた。 「い、いりません。お願いだから、帰して」 「ふふ、すぐに帰してあげるわ。おみやげと一緒に」 エレクトラはそう言うと、突然、ガーネットを幸恵の額に押しつ けた。 「いやああぁぁぁぁ!!!」 その瞬間、幸恵の絶叫が夜空にこだました。 4 帰宅 午後8時、美佳とエリナを乗せたタクシーが自宅のマンションの 前に着いた。美佳は先にエリナを車から下ろし、自分は運転手に料 金を払って、後から出た。 「美佳さん、今日も一日、無事に終わりましたね」 エリナが言った。 「今日は−−というか、今日も疲れたわ。でも、うちに帰ってから 、宿題を気にしないでいいって言うのは、いいわね」 「美佳さんはいつもそれですね」 エリナがくすっと笑う。 「いいじゃない、別に」 二人はマンションに入った。管理人室の電気が点いていたので、 美佳は声をかけようと窓口をのぞき込んだが、室内には誰もいなか った。 「あれっ、誰もいない。もったいないな、電気点けっぱなしで」 「美佳さん、人のことが言えますか」 「私は自分に甘く、他人に厳しいの。ちょっと消してくる」 美佳は管理人室のドアを開け、中に入った。そして、ドア横の壁 のスイッチを押そうとしたとき、天井からぽたぽたと何かが垂れて いることに気づいた。美佳は何気なく床を見た。 「ち、血だわ」 美佳は目をしかめた。床には血の水たまりのようなものが出来て いた。美佳は恐る恐る視線を上に上げた。 「!!!!」 美佳はあまりの光景に声が出なかった。管理人が天井にモップで 串刺しにされていたのである。 「あわわわ」 美佳は慌てて管理人室を出た。 「どうしたんですの、美佳さん、顔が真っ青ですよ」 「か、管理人さんが……」 美佳は強張った顔で室内を指差す。 「管理人がどうかしたんですか」 エリナは美佳に言われ、室内を覗き込んだ。 「ひええぇぇぇ!!」 エリナは大人げない悲鳴を上げて、そのまま床に卒倒した。 「ちょっと、エリナ、自分だけ気絶するなんてずるいわよ」 美佳がエリナを抱き起こそうとしたときだった。美佳は人の気配 に気づき、通路の奥の方を見た。 「水島さん…?」 そこには水島幸恵が立っていた。しかし、どこか雰囲気が違って いた。彼女は薄暗いところに立ち、じっと無言であった。 「水島さん、管理人が大変なの。他の住人を呼んできてくれる」 美佳は言ったが、幸恵は何も答えなかった。 「水島さん」 美佳は立ち上がり、幸恵の方へ歩いていった。 「あ、あなた……」 美佳の顔が険しくなった。 幸恵の服は血でどす黒く染まっていた。彼女の顔はもはや人間の ものではなかった。 「ぐわあぁ!」 突然、幸恵の背中から巨大な8本の黒い昆虫の足が飛び出し、口 からはストローのような嘴が飛び出した。 怪物と化した幸恵は8本の足でジャンプして、美佳に飛びかかる 。 「ふええっ!」 美佳はとっさにしゃがんだ。間一髪、怪物の最初の一撃をかわす 。 まずいよ、まずいよ、銃もヘアバンドもうちの押入なんだから。 美佳は必死になって、エレベーターの方へ行こうとした。だが、 怪物に素早く前に回り込まれた。 畜生! 美佳は反対方向へ逃げた。 「ぐええっ!!」 怪物の嘴が伸びた。 「うっ」 後ろから来た嘴が美佳の腕を掠める。 美佳が腕を押さえて、動きが鈍った瞬間、怪物の4本足が伸びて 、美佳を捕まえた。美佳は怪物に抱え上げられ、宙づりにされた。 しまった!!このままじゃ背中からあの鋭い嘴で突き刺される。 美佳はもがいたが、怪物に完全に動きを封じられた。 「み、美佳さん!」 気を失っていたエリナが目を覚まし、起きあがった。 「エリナ!逃げて!」 美佳は必死に叫んだ。 「美佳さん、これを!」 エリナはブラウスのボタンを引きちぎるようにして外し、自分の 首にかけていた金色のクロス・ペンダントを美佳に向かって投げた 。 「あれは!」 そうか、エリナが持っててくれたんだ。 怪物の嘴が美佳の背中に迫る。 美佳は金のクロス・ペンダントを手にした。 「チェーンジ リヴォルバー!」 ペンダントが黄金銃に変化する。ファレイヌは美佳の声で様々な 形に変形するのである。 「くらえ!」 美佳は黄金銃の引き金を引いた。 グォーン!! 銃から発射された光の弾丸が大きくカーブして、後ろの怪物の額 に命中した。 「ギャアアア!!」 怪物は獣のような悲鳴を上げて、倒れた。 美佳は怪物の腕から解放され、床に着地した。 「危なかった……」 美佳は大きく息をつく。 「美佳さん、大丈夫ですか」 エリナが美佳のもとへ駆けつける。 「ええ。でも、どうして水島さんが−−」 美佳が振り向くと、幸恵は人間に戻り、うつ伏せになって倒れて いた。 「水島さん!」 美佳は幸恵に駆け寄り、抱き起こした。額からはドクドクと血が 流れている。 幸恵はまだ微かに息があり、美佳に気づくと、苦悶の表情を浮か べながら、必死に口を動かした。 「エ、エレクトラ……」 「え?」 「ファ、ファレイヌを狙ってる」 幸恵はそれだけ言うと、首をがっくりと垂れ、息絶えた。 「水島さん、水島さん!」 美佳は幸恵を揺さぶったが、既に手遅れだった。 「一体、何があったんでしょう」 エリナが心痛な面もちで言った。 「わからない。でも、何か悪い予感がする。何か不吉な予感が−− 」 美佳は譫言のように呟いた。 「何かしら」 エリナは幸恵のそばに落ちていた黒いガーネットが拾い上げた。 「美佳さん」 「なに」 「このガーネットが落ちてましたわ」 美佳は幸恵を床に寝かせ、立ち上がった。 「気味の悪いガーネットね。後で調べてみましょう。それより、今 は警察に」 「そうですね」 エリナは幸恵の前で、手で十字を切り、幸恵の冥福を祈ると、エ レベーターの方へ行く美佳の後を追った。 終わり