──第二次ゲームを図解する──  ここからまた第二次ゲーム自体の話に戻します。 さて、人工的な敵の存在によって、「個」が一つであっても勝敗 を競っているように思わせるのが第二次ゲームの最大の特色である ことは述べました。ゲームブックにしてもスーパーマリオにしても、 「敵」がなければさっさと目的を達成できるのでしょうが、それで はゲームにはなりません。なぜならゲームとは競技なのですから。  ではここで第二次ゲームを図解してみることにします。図解する と第二次ゲームにおける「人工的な敵」の性質がいっそう明らかに なるでしょう。 個──−勝利──−個  前後しますがこれは第一次ゲーム(正真正銘の競技)の図解です。 第一次ゲームが「勝利」を中心とするこのような図で表現できるこ とはすでに説明しました。では、「個」が一つしかない第二次ゲー ムを図解するとどうなるでしょうか。第二次ゲームは実際に勝敗を 誰かと競っているわけではありませんから「勝利」が図の中心に来 ることはありません。二つ以上の「個」が存在して初めてその中心 に「勝利」が位置できるのですから。  したがって、第二次ゲームを図示すると、  個──(人工的な敵)──勝利 このようになるでしょう。例の「人工的な敵」は、「個」と「勝利」 との間に位置し、競技者はこれを乗り越えて行かないことには勝利 に到達することはできません。これは一種の障害であり、競技者の 妨げとなる存在です。が、再三にわたり強調しているように、「個」 が一つしか存在しないのに競技をしているように思わせるのもこの 「人工的な敵」のおかげなのです。では、なぜ「人工的な障害物」 が加わるとゲームらしく見えるのかを図の上で検証してみます。 競技者甲──勝利──競技者乙 これは第一次ゲームです。競技者同士は互いに敵対し、一つしか ない勝利を競っています。ということは、乙は甲にとって勝利への 妨げとなる存在であるわけです。逆も言える。そこで、甲の立場の みに絞って図解してみると、 競技者甲──(競技者乙)──勝利 こうなるはずです。甲が勝利に達するのを邪魔する存在として乙が 間に入っている。これで明らかでしょう。これは第二次ゲームの図 解と同一です。競技者甲が第二次ゲームを行っているところを図解 してみれば一目瞭然でしょう。  競技者甲──(人工的な敵)──勝利 人工的に障害物を設置することによって、通常の競技での競技者 の立場と似た状態を作り出していることがこの図で確認できます。 人工的な敵が存在するからこそ「個」が一つしかなくともゲームら しく見えるのだ、ということもこれで分ります。ゲームとは競技で す。故に競技者甲だけでは本当は競技にはならない。「競う相手」 としての乙が存在して初めて競技となるのです。ところが「個」が 一つの第二次ゲームには「競う相手」としての競技者乙は存在しま せんから、人工的な敵が競技者甲を妨害することによってそれに似 た役割を果している。そのことが今の図で確かめられたと思います。 確認の為に言うと、「人工的な敵」が競い合う相手としてではな くあくまで競技者の妨害に徹しているところに第二次ゲームの「二 次的」なる所以があるのです。第一次ゲームでは、競い合う相手で ある競技者乙は甲の妨害をするだけでなく自らもまた勝利を得るこ とを目的としています。これに対して第二次ゲームの「人工的な敵」 はそれ自体が勝利を目指しているわけではありません。ここに第一 次と第二次の決定的な違いがある。したがって、次のような図解は 成り立ちません。  「個」──勝利──「人工的な敵」 こういう図解が成り立つのなら、そもそも第一次・第二次などと 区別する必要がなくなります。しかし、考えようによっては、第二 次ゲームにおいて競技者が目的を達せられなかったということはす なわち「人工的な敵」が勝利を得たというふうに解釈できなくもな い。すると今の図解だって構わないのではないかという意見も出て くるでしょう。けれども、解釈はどうあれ、やはり右のような図解 は成り立ちません。それはなぜか。一言でいうと、先程の図の競技 者甲と乙とは「勝利」を挟んで対等に向い合っているのに対し、第 二次ゲームにおける「競技者」と「人工的な敵」とはそのような関 係にないからです。詳しく説明します。 第一次ゲームではお互いの立場を交換することができます。Aと Bとが将棋をするとき、Aが先手でもBが先手でも構わないはずで す。先手と後手とを一勝負ごとに入れ替えることは容易だし普通に 行われることです。野球の先攻と後攻の関係もそうだし相撲の東と 西の関係も同様です。なぜ入れ換えが可能かと言えば、両者が勝利 に対して等しい位置にあるから可能になるのです。 先手A──勝利──後手B  先手B──勝利──後手A しかし、第二次ゲームではこんなことはできません。いったい誰 がゲームブックをするときに「文中に組み込まれている障害物や敵」 の役割を受け持つことができるでしょうか。数あるファミコンソフ トの中に、一つでも「普段はコンピューターが受け持っている敵キ ャラクターや障害物」をプレイヤーが動かすことのできるソフトが あるでしょうか。そんなものはありはしません。  A(Bにとっては敵)──ゲーム──B(Aにとっては敵)  第一次ゲームはこのようにも図解できます。ではこの視点から第 二次ゲームを図解してみましょう。       +────−ゲーム────−+  競技者──+競技者にとっての敵・障害物|       +────────────−+  このように第二次ゲームの「人工的な敵」はゲームの中に最初か ら組み込まれてしまっていますから、競技者がこの役割を受け持つ ことなどできません。したがって、 「競技者」──勝利──「人工的な敵」 のように、「人工的な敵」をあたかも競技者のように扱った図は成 り立たないことになるのです。  それから言い遅れましたが、「対コンピューター型」(コンピュ ーターオセロなど)の対戦ゲームは前にも述べたように第一次ゲー ムであって第二次ゲームではありません。あの手のゲームはコンピ ューターがそのまま「競技者(?)」になっていると解釈できるか らです。それは次の図解で確認できます。  先手(人間)──勝利──後手(コンピューター)  先手(コンピューター)──勝利──後手(人間)  人間とコンピューターとが立場を交換できるということは両者が 基本的に同じ立場にあることを意味します。図で明らかなように「個」 は二つであり、第一次ゲームに属することも確認できます。 ──第二次ゲームの「勝敗」について──  これから第二次ゲームの「勝敗」について考察していきます。特 にこの「勝敗」に関して第二次ゲームの「二次的な」性格が色濃く 現れるようです。 第一次ゲームでは勝ち負けの別が極めて明瞭に現れます。競技が 終了した時にどちらが「勝ち」で、どちらが「負け」かが一目瞭然 であるということです。もっとも引き分けということもあり得ます が、ゲームの精神からすると引き分けなどは極力ない方が好ましい と言えましょう。プロ野球のセ・リーグはとうとう再試合制によっ て引き分けを無くしてしまいました。これは当然の処置です。再試 合などしなくとも、一定の回(例えば十二回)を終えて同点だった 場合は安打数の多い方が勝ち(それも同じなら塁打数の多い方が勝 ち)などというふうに決めても構わないと思いますが。あるサッカ ーの大会の「決勝戦で引き分けた場合はPK戦を行わず双方とも優 勝」などという規定はゲームの精神を全くわきまえぬ呆れた措置で す。大体こんな規則がまかり通ると八百長の因にもなりかねません。 特にサッカーというゲームは点差が開きにくく、人為的に引き分け にしやすい競技ですから一層問題があると思います。 競技者A──勝利──競技者B 図で示した第一次ゲームはまだ勝敗がついていません。第一次ゲ の場合、勝敗が決着するのには二種類の型があります。一つはある 条件をどちらかが先に満たした場合にその方の勝ちとなる場合です。 例えば相撲では相手の体を土俵の外に出すか、足の裏以外のところ を土俵につかせてしまえばその瞬間に勝負が決定します。米国アバ ロンヒル社のボードゲーム「鉄道男爵」では誰かが三十万ドルを持 って所定の都市へたどり着いた瞬間に勝負が決着します。そういう 型のゲームの勝敗が決した瞬間を図で表すと、次のようになるでし ょう。 競技者A──勝利・競技者B  競技者Bが勝利に達し、勝敗が決したところです。 もうひとつは決められた回数(または時間)を終えた時に優勢で ある側を勝者とするやり方です。例えば野球がそうでしょう。野球 ではある条件(例えば先に10点取ること)を満たした側を勝ちとす るのではなく、九回を終えた時に僅かでも得点の多いほうが勝者と なるわけです。 Gチーム────勝利−Lチーム  九回を終えてこういう状態ならば、何点差であろうとLチームの 勝ちと判定されます。 このうち最初の方法(どちらかが勝利条件を満たせば勝ち)の場 合、まれにどちらも勝利条件を満たせないまま競技が長引くことが あります。そういうときは後の方法を補助的に用いて勝敗を決める 場合が多いようです。が、無理に勝敗を決めずに引き分けにするこ ともゲームによってはあります。但し引き分けというのは前にも書 いたようにゲームの精神から考えると好ましいものではありません が。 ボードゲーム「モノポリー」の場合、正式なルールでは一人を除 いて他の全員が破産するまでゲームを続けることになっていますが、 「時間ゲーム」といって一定の時間(二時間位が適当)を過ぎたと きにゲームを打ち切って最も多くの財を成した競技者を勝ちとする 方法もルールブックに載っています。正式な規則による勝敗判定法 (誰かが勝利条件を満たせば勝ち)では時間がかかり過ぎるので、 野球の回数制のように時間制限を設けてゲームをしても構わないと いうことです。  以上のように第一次ゲームの勝敗決定法は単純明快です。勝ち負 けの別がはっきりしているというのはそこに原因があります。とこ ろが第二次ゲームではこれほど明瞭ではありません。これもやはり 「二次的な」ゲームである為です。 テトリスというゲームを御存知でしょうか。記録的に流行したゲ ームなので実際に見たことはなくとも名前だけは聞いたことがある という方も多いでしょう。任天堂の「ゲームボーイ」という携帯用 のゲームマシンでもテトリスを楽しめます。特に対戦用の出来が良 く、ゲームボーイを「テトリス専用マシン」とさえ言う人もいるほ どです。テトリスは落下してくる六種類の形のブロックを瞬間瞬間 の判断で、あるいは計画を立てつつ、水平になるように組み合わせ て積んでいくゲームです。水平になるとその部分のブロックが消え、 上に残っていた部分がその分だけ下に落ちます。いつまでも水平に 積めないでいるとどんどん高さを増して遂には天井までとどいてし まう。こうなるとゲーム終了(ゲームオーバー)です。二人で競う 「対戦用テトリス」の場合は、水平に積まれて消えたブロックが相 手側に移行します。この場合も先に天井までブロックがとどいてし まった方が負けとなる。念の為に「対戦用テトリス」を図解してお きます。  個──勝利──個  このように「個」が二つの第一次ゲームになります。そしてこの 場合、第一次ゲームですから勝敗の別は明らかです。たった今述べ たように、先に天井につかえた方が負けで、その相手が勝ちを得ま す。制限時間を敷いてもいいでしょう。誰か時計係を設けて合図と ともにテトリスを競い、決められた時間が来ると終了を宣言してブ ロックの高さを比較し低い方が「勝ち」というふうに。だから引き 分けもあり得ますし、それが困るなら再試合をすればよい。第一次 ゲームですから勝ち負けの区別ははっきりしています。 ところが第二次ゲームの場合のテトリス(個が一つ──個人で行 うテトリス)の勝敗を考えると、これほどはっきりした区別が得ら れないのです。これはテトリスだけではなくすべての第二次ゲーム に大なり小なりいえることです。もっとも「負け」の方は分りやす い。テトリスの場合、要するにブロックが天井にとどいてゲーム終 了となった時が「負け」と考えられます。分りにくいのは「勝ち」 の方です。いかなる状態に達したとき「勝ち」となるのか。これが 考えれば考えるほど結論が下しにくいのです。  結論が下しにくいのは、第二次ゲームのテトリス(一人で行うテ トリス)がゲーム終了になるまで継続して行われるゲームだからで す。極端な話、もしブロックが天井につかえることがなければ延々 とゲームを続けることができる。事実ゲームの上手な人の中には「自 分から放棄しない限りゲーム終了になることは決してない」という 腕を持った人がいるそうです。ここには第二次ゲームの二次的な(競 技に徹し切れていない)性格が非常によく出ている。大体ゲームと は勝ち負けを決める為に行うものですから「自分から放棄しない限 りいつまでもゲームが続く」というのは極めて異常な事態です。正 真正銘の競技たる第一次ゲームで「いつまでもゲームが続く」状態 が起こるのはいずれの競技者も勝利条件に達することができずにゲ ームが長引いている時ぐらいなものでしょう。  競技者──勝利──競技者 (どちらの競技者も勝利に到達できないでいる)  第一次ゲームではどちらかの競技者が「勝利」に到達したらそこ でゲームは終わるのです。  競技者・勝利────競技者  こうなればゲーム終了となります。勝ちを収めてしまえば容易に ゲームは終ってしまうのですから「自分から放棄しない限りゲーム が終わることがない」という状態など想像もできません。力が拮抗 していて勝負がつかない時は引き分けなり再試合なり判定なり何ら かの処置が下ってゲーム終了となるはずですし、大体「自分からゲ ームを放棄する」などというのはゲームの倫理に反することではあ りませんか。するとどういうことになるのでしょう。一人で行うテ トリス(第二次ゲームのテトリス)には厳密には「勝利」というも のが存在しないということになるのではないでしょうか。ここで第 二次ゲームの図解をもう一度提示しましょう。  競技者──(人工的な敵)───勝利  テトリスをこの図に当てはめると、競技者とはそのままテトリス を行う人のことであり、「人工的な敵」とは落ちてくるブロック自 体でありまたそれがだんだん速さを増すことであるのは分ります。 では「勝利」に当たるのは何かというと、「いつまでもゲームを続 けていられること」とでも言うほかありません。しかし勝利を得る ことが同時にゲームの終了を意味することから考えると(制限時間 のあるゲームでもゲーム終了と同時に勝敗が決着します)明らかに これには矛盾が見られます。結局、投げ出さない限りいつまでもゲ ームが続けられるという状況が起きるということは、それらのゲー ムには「これこれの条件を満たせば勝利を得る」というような条件、 すなわち「勝利条件」が存在しないとしか言いようがありません。 これはどういうことかというと、それらのゲームひいては第二次ゲ ームでは勝敗を競うことが本質的な目的となっているのではないと いうことが言えるのです。この問題は重要なので、テトリス以外の 第二次ゲームも例にとって説明しましょう。  スペース=インベーダーゲームと言えばもう十年以上も昔に大流 行したゲームで、ゲームアーケード(ゲームセンター)が広まるき っかけともなりました。このゲームも「個」が一つで行われる第二 次ゲームです。そしてこのゲームもテトリスと同様、きちんとした 勝利条件がありません。迫り来るインベーダー群を次々と打ち落と して行けば、際限なくゲームが続けられるからです。この場合も達 人級になると「自分から放棄しない限りゲームが終らない」状態が 起こり得るでしょう。もちろん第一次ゲームでは考えられないこと です。他にファミコンを広めるのに一役買った「ゼビウス」という ゲームにもテトリスやインベーダーゲームと全く同じことが言えま す。やはり上手になりすぎると「自分から放棄しない限りゲームが 終らな」くなるでしょう。  第二次ゲームではこのように「勝利」がはっきりとゲーム中に現 れないことがあります。もっとも第二次ゲームの全部が全部「自分 から放棄しない限りゲームが終らない」状態が起こり得るわけでは ありません。ゲームセンターにあるゲームの中には「最終面」とい うのがあってそれを突破してしまうと強引にゲーム終了になってし まうものもあります。いや、数から言うとそういうゲームの方がず っと多いでしょう。これは一つには、経営者側から見るといつまで もゲームを続けられては勝敗ならぬ商売にならないのでこういう措 置をとるのです。パチンコの打ち止めと同じことです(余談ですが、 パチンコも第二次ゲームであると考えられます。しかしながら、も し同じ台を使って一定時間内にどれだけの玉を出せるかということ を二人ないしそれ以上で競うとなると「個」は複数となり第一次ゲ ームになります)。けれども別の見方をすれば、そういう処置をと ることによって競技性が増したとも言えましょう。なぜなら最終面 をもってゲーム終了となるということは、とりもなおさず最終面を 突破することが「勝ち」であるというふうに解釈できるからです。 最終面を設けることによって「勝利条件」が生まれたとも言えるで しょう。ゲームブックなども「真の結末」にたどり着くことが勝利 条件だと言っていいでしょう。第二次ゲームでもそういうものは「勝 つ為にゲームを行う」と言いたくなるのですが、しかしこの勝利は いかにもとってつけたような、便宜的な勝利であって、対等な相手 と戦って得た第一次ゲームの勝利とは質が違います。第二次ゲーム の勝利のほうはずっと軽いのです。それが証拠に「最終面」のある 第二次ゲームはそれを取り除いても、つまり「勝利」をぼかしてし まっても全く差し支えなくゲームを行うことができます。無論第一 次ゲームでは「勝利」をぼかしてしまうことなどできません(野球 で「10点差以内は引き分け」などと勝敗をぼかす規則を作ったらど うなるでしょうか)。第二次ゲームの勝利が軽い証拠ではありませ んか。また「最終面」を持つゲームの中にはそれを突破してもゲー ム終了とならずにもう一度初めからゲームを繰り返すことができる ものもあります。そういうものは最終面を制覇したことをもって勝 ちとするべきではないかも知れない。総じて勝ち負けの判定は第一 次ゲームに比べて曖昧であると言えるでしょう。もちろん第一次ゲ ームでも勝負が引き分けた場合は勝ち負けの判定は同じく曖昧にな りますが、その場合の曖昧というのは仕方なくそうなってしまうの であって、あくまで例外に属することであり時間的な制約などゲー ムの本質とは関係ない事情によることも多いのです。高校野球など トーナメント方式のゲームでは引き分けなどあり得ないことから考 えても(決勝戦で引き分けにする? そんな間の抜けたやり方があ っていいものか!)第一次ゲームの引き分けが例外的存在であるこ とは明らかです。しかし、第二次ゲームでは勝ち負けを明確にする 必要は特にないと言っていいでしょう。何となれば「個」は一つな のですから。  第二章で私は「ゲームの目的は勝つことである」と断定して、か なりの頁を使いそのことを説明しました。まだ第一次・第二次など という区別を述べていなかったので説明上の都合からあえてそう言 ったのですが(第二章は第一次ゲームについての説明だったのです) お気付きのように「ゲームの目的とは勝つことである」というのは 正真正銘の競技たる第一次ゲームに言えることであって、第二次ゲ ームにはぴったり当てはまりません。明確な「勝利」が存在しない ものが多いのにどうして「勝つこと」が目的となり得るでしょうか。 そこで第一次・第二次ゲーム別の目的を記しておくことにします。  第一次ゲームの目的……勝利すること。勝利条件を満たすこと             (第二章を参照)  第二次ゲームの目的……「人工的な敵」の妨害を乗り越えること  これに伴って第二次ゲームの図解を一部訂正します。  × 競技者──(人工的な敵)──勝利  ○ 競技者──(人工的な敵)──目的  それではどうして以上のことが言えるのかということをこれから 具体的に述べることにします。  ──第二次ゲームの真の目的──  これまで私は「ゲーム=遊び」という常識を否定し「ゲーム=競 技」という理論を展開してきました。そして徹底的に「競技」の観 点からゲームを解説してきたのですが、ここでは少しだけそれから 外れなければならないようです。というのも「ゲーム性」(競技性) というのは正真正銘の競技である第一次ゲームにはぴたりと当ては まることですが、第二次ゲームにはそのままそっくり通用させるわ けにはいかないからです。もっともまるで通用しないわけでもあり ません。もしゲームらしいところが全くなかったらそれらのものを 「第二次『ゲーム』」と呼ぶべきではないでしょう。第二次ゲーム の場合、ゲーム性は大まかにしか通用しないのです。大まかという のは純粋なゲーム性は持ち合わせていないがさりとてゲーム性に全 く欠けてしまっているわけでもないということです。そのことを念 頭において第二次ゲームの本当の目的とは何かを考えてみます。  純粋なゲームでは、勝利することを目的として対等な立場にある 競技者が勝敗を競い合っています。「競い合う」為には当然「個」 が複数でなければならない。故にこの型のゲーム、すなわち「個」 が複数で行われるゲームを第一次ゲーム(正真正銘のゲーム)と名 付けました。私の他にこういう解釈をした人がいるかいないかは知 りません。  一方、ゲームの中には「個」が一つで行われるものもあります。 そうなると純粋に勝敗を競い合うことはできず、質的に第一次ゲー ムとは違ってきます。そこで、この「個」が一つのゲームを「第二 次ゲーム(疑似ゲーム)」考え第一次ゲーム(本物のゲーム)とは 区別して考えるべきであるというのがつまりはこの章の要点です。  第一次ゲームの目的は勝利することです。対等な相手と競い合っ て勝つことです。これについてはもういいでしょう。それに対して 第二次ゲームでは、実は「勝つこと」が目的であるとは言えないの です。なぜならばそもそも第二次ゲームにおいてはこれまで考察し たように本当の「競技」は行われておらず、勝とうにも勝つべき相 手が存在しないからです。いかにもゲームらしく見せかける為に「人 工的な敵」が第二次ゲームには存在していますが、これはつまると ころ障害物であり邪魔をしているだけに過ぎず、自らが「勝とう」 としているわけではありません。したがって勝つべき相手とは言え ないでしょう(もし「人工的な敵」がそれ自体「勝ちに来ている」 ならばそれは対コンピューター型の第一次ゲームであるはずです。 したがってそれは「人工的な敵」ではなく一つの「個」であると見 なすべきでしょう。見分け方はその役割を人間が受け持てるかどう かに注目すれば良い。無論、人間が受け持てないものが「人工的な 敵」となります)。しかし、第二次ゲームの目的を達成するために はその障害物を乗り越えないことには話にならない。これは明らか なことです。するとこの「『人工的な敵』を乗り越えること」こそ が第二次ゲームの目的と言えるのではないでしょうか。 しかしこの考えに対して「『人工的な敵』を乗り越えること」と はつまり「『人工的な敵』に勝つこと」ではないか、との反論が当 然出てくるでしょう。けれども一般的な言葉遣いの上ではともかく、 ゲーム「論」においては勝ち負けに関する言葉はあくまできちんと した競技が行われている時に用いるべきであり、そのきちんとした 競技というのは第一次ゲームの中にしかあり得ないのですから、第 二次ゲームに関しては「勝つこと」という言葉を使うべきではない と私は考えます。「個」が一つしかなく、実際には競技が行われて いないのにどうして勝ち負けに関する言葉を用いることができるで しょうか。第二次ゲームの図解を訂正したのもこれと同じ理屈です。  × 競技者──(人工的な敵)──勝利 ではなく、  ○ 競技者──(人工的な敵)──目的  となります。正式な競技の行われていない時には「勝利」という 言葉を使うべきではないという考えからこう訂正するのです(あく までゲーム論においては)。